昭和四十八年五月二十一日  夜の御理解  (※真名子さんの話が出ています)

 今日は丁度..午後の奉仕をこさせて頂く為に..御祈念ちょっと前に、やらせて頂いた、そしたら、福岡から、私いつもお話しをする、あの真名子さんという、あそこへ皆..集まって、お話しを...私のお話しを聞いてくださっておった方達が、二人お参りして来た。
一人がもう熱心な、熱心というても、熱烈なあの信者さんでした。

 あ..二十何年前の、ん.まあ思い出話しを的確に覚えておられるのに、私は驚いて改めて、あ..二十数年前の、私の信心というものを、まあ思うたんですけれども....
もう一番この印象に残っておったのは、真名子さんご夫婦共、真名子さんは、もうとうとう福岡の.お..ええ..ここが椛目の一年祭が、あの終ったすぐ後に亡くなっておられて、え..ご主人もその後亡くられたと、そうして又、息子さん達夫婦だそうですけれども、ん..その当時やっぱり、七十名からそこの信者がおったと、信心でも何でもないのがね。

 そいでもう私がまいりますと、あそこいっぱい.やっぱし、多い時には四、五十人そして又晩は、二、三十人ぐらい残って、もう夜明かし、夜通しであのお話を聞いてもらったという、自分の話しをね、してましたら、あの何時か、真名子さんが、「あっちゃ、あの大坪さんな、あの人はもう本当に、日本一の先生にならしゃですばい」ち「もうそればってん、あっちゃね、もうきっと奥さんが偉いに違いはなか。」というて、言うておられ
た事、思い出して「今日は是非、奥様にお目に掛りたい、」ちてですね。
 それが、その真名子さんがそういう風に言っておられたんだそうですが、あの今日は、「よう、あんた覚えとったね」と言うたことでしたけどもね。

『あのかにがね、あの..ん..二匹の蟹が、こうバケツの中で、ガラグル.グルグルこう回っている、それをあの女カニと男カニが、その..外へ出たいけれども出られない。
それでその女カニが下敷きになって、その上に男カニが横にこう立って、その淵にこうやって、抓みを掛けて、こうやってその上がるところを頂いた』から、「あの奥さんがもうそら確かに偉い、奥さんですばい」ちてから頂きよりました、ち。
私さえ、そんな風な妙に聞いて回った事がないですけどね。

 あのカニの話しはいつもしますけれども、真名子さんが御心眼にそういうお知らせを頂かれて、そいでまあ今日は家内とも、家内が今日、何.勝手のほうばっかりしてから.あ..出てきませんでしたけど、わざわざそう言うて、あの..挨拶を抜けてきましたから、もう大変満足してからですね、本当に何事でも、一人でなされるということはないや、
 何事でもやっぱりその基礎というものがなからなければ本当のもの出来あがらない、
ということをまあしみじみ..思い、又私もその話し聞きながら、感じた訳でしたけれども、本当に.まあ.あの時分に大坪先生の生き方というものが、私達はもう只ただ驚きだったという事。

 ある時に、あの御本部参拝をさせて頂いて、私がいつもよくお話ししますが、あの上の客殿ですかね、あの桜の咲くところ、あすこのところを、御信者さん方、まあ.あの時分は北野の連中だった、私付いて回っておった時代、ずーと私連れて回って、まだあの椛目の人が助かるというまだ前でした。

 その時分にあの丁度、あそこ桜の花の下で、そのあちらの方達が、十四.五人くらい輪を組んでお弁当を頂きよった、桜の花の下で、そこへ私達が生き合せてもう、久しゅう椛目にあの帰って来てから、福岡の方へ行かんもんですから喜んで、「はあ、ここでお会いするとは」と言うて、まあ.あそこで又ひとしお.お話しして、帰り立ち際に、あの真名子さんが、私のポケットにちり紙に包んで、あの百円あの入れてくださった、帰りなんかお子さんのお土産でも買っていってくださいちいうてから買ってきた。

 それが丁度、お..もう..とにかくまあ、土産を買った事も私はありませんが、買おうとも思わないですけれども、勝彦が小学校へあの上がるのに、妹があの色んな服やら、あ..色んな物は、まあ有り合わせの布で作ってくれておった。
あ..ランドセルもどうやった、ですけれども、とに角あの帽子がないから、帽子をあのお土産に買うてきてくれ、といったようなことだったんです。

 そいで私はあの、おえんに出らせて頂いてから、あ..教会でその百円の半分の五十円をお初穂にして、その五十円持って、え..今の丹波屋さんです、角の饅頭屋の前の、あすこへ寄らせて頂いたら、とても五十円なんかで帽子なんかあるはずなか..ね。
その時分でもやっぱり二百円ぐらいしたんじゃなかったでしょうか。

 ん..そりゃそうでしょうね、あるはずないです、ところがちょいと待ってご覧なさい、というて、あちらの奥さんが、あの..ん..もう陳列にこう出してあったけれども、黒いところがこう焼けて、焼けた帽子が、もう「こんならば五十円でよございます」とちうてその、五十円で買ってきて、さあその帽子を買ってきたから、勝彦がもう.それこそこうかぶってからくるくる回って喜んだことがあるんです、あ.そのこと、今思い出させて頂いたんですけれど、ん..その時にあのもうその、皆がこうやってグループが福岡教会から参っておるんです。

 あのそして.又あのこう帰ってくっ時に、私はそれ.ほんにそげなことあったなあ、と思ったんですけれども、又私もこっち回りする、自分達も又お礼に出て、丁度そこの合ったところで、あの福岡の先生とそのグループと会ったんです、「いやあ、又おおた先生とおおうた」ちてからその、会ったあの真名子さん達グループ人が言ったらね、福岡の先生が「大坪さん、あんたいつ御道の教師に成ったな」て言わっしゃったことがあったです、「もうあん時に、もう大坪先生がころりと変わらっしゃった、本当に大坪先生ちゃ偉いな」と言うたようなことをね思い出した。

 私もそげな事あったことだけ、けども今日の御理解じゃないけれども一つも障ってないから、忘れとるぐらいでしたね、ほんにそんなこともあったなと思うてね、
もう結局.今朝の御理解のようにもう、やっぱり抜けきる以外はないです、もう本当にあの馬鹿と阿呆に成る以外はない.といったようなね、ええ..今日はそう二十何年前のその思い出話に、花を咲かせて、もうこれからは誰、もう亡くなられてから、皆が信者もチリチリバラバラになってから、まあ福岡の教会もどうも出来ん、参るというてからまあ十人ぐらいおるらしい。皆にこのことを言ったら、まあどんなに喜んであのこちらに御参りできるか分からんというて今日帰られましたけどね。

 ん..本当にあの..物事という事に、やはり基礎というか.あそれが、あのなからなければ出来ない。いつも.私には本当にあの家内があってくれて私がある、ということをいつもいうと、この頃はそれを言わん、もうこの頃それをもうなるったけ自分一人の信心のように思うておったけれども、今日改めて、その事を気付かせてもろうて、「ほんにそれどころじゃなかったな。」ということやら、又今朝の御理解から、本当に満座の中にどういう風に、どういう風な、例えば.表現で.ええ..赤面その事を言われてもです、それをもう赤面する風に全然そのひかかってなかったということですよね..ん。

 本当にあのその時分から、成る程一分一厘間違いのない神の働きというものを、五十円の学生帽の中から、あのやっぱりそういうものを頂いて、それなりに頂いておった。
それが、あの本当にそんなに有り難いのですか、と皆に言われるくらいに修行の中に有り難いものが.こう発散しておったのではなかろうかと.私今朝からね、今日改めて、まあ思わせて頂いたんですけれどね、

 もう私.今朝の御理解なんかは、あのような表現で頂いて、もう本当にもう教祖様の生られ方というか、成る程、今日の御理解頂いて、始めて生きられ教祖様が、いかに生きられたかという事を、感じさせて頂いた事をございませんでしたが、それに裏打ちをするように、今日二十数年の私の信心を、はっきり覚えておって聞いておられて、そいから若先生今日一丁、本当にもう..いつも噂するけれども、あのとてもこういう風なあの..教会が出来ておると夢にも思わなかったが、私の方にもこんな御陰を頂いてというのは、もう非常に熱烈でしたけれども、それこそもう赤貧表うえの如し、というな貧乏しとんなさいましたよ。

 それがあの、ん..子供さんが出来そこなってから、まあだ十五.六でしたけれども、お..二十数年前のあの、まだ混乱した時代ですね、もう娘さんが不良少女の仲間に入ってから、もう盛り場で万引きはする、そのパンパン宿のような所に出入りをするといったようなもうどうにも.こうにも手のつけられない娘さんがおったんです、そいで私一辺いった時にもう強引に引っぱってきてからその、私の話を一晩一緒に聞いたことがある、でそん時のことをですね、あの..ん..話されるんですよ、その娘がね、今はあの.その時分に、やっぱり、心休まれて、あの一緒になった男の方がもう非常に真面目な方で、最近は二人が金光さまの信心なって、とっても親孝行してくれるという。

 今日も、その話したら、もう小遣いからお初穂からその娘がしてくれました。というていやあ、あの先生ところにそんなら早う行ってきなさい。というてくれました。それがねあの覚えとるんですよ。そう私が娘に言った御理解を、あなたはちょっと言うならね。
丁度.竹薮の影から、こうあの彼岸花が咲いておるようなものだと、もうそれこそ口は、
人間食うたごたある口紅をこう附けてですね、もうあの時分な..あのパンパン..の風俗というのがあったでしょう、やっぱり。そういうもう格好ですよ。

 頭がこうして、まだ十五.六ですよ。それがそんな風でしたが、丁度竹薮の影に咲いておる、あのマンジュウシャゲのような、彼岸花のようなね、だから形同じようなものでもね、一つ心に菊の花のようなね、あの心になること、改めて「人間幸せになれないよ」ちて先生に言うて頂いたのを今に覚えとおる、そして本当に今はもうそれこそ真面目にですね。夫婦が働いて、そして現在.息子はおるけれども..お..息子が又.少しどまぐれて、ん.こちら二十何年おるとけんちいうて、息子がまたどうでんこうでん、御道の教師にしたっちゃよかけん、一丁お願いしてください、と言うて今日は、あのお願いがあって、帰られたが、その娘さんが、今そういう風にそれこそ、お..赤子花のような信心から、菊の花の信心に変わらせて頂いて、親孝行が出来とる、というまあ二十何年ぶりのお礼のお届けがありました。

 まあそれやら、これやら色々とそういうなこと聞かせてもろうてね、本当にその時その時に、やはりあの一分一厘間違いのない神様の働きを、そこに頂いておったな、また信心は小さいけれども、ん..例えば満座の中でどういうことを言われても、本当に顔色一つ変んでも済むだけのものを頂いておったな、といったようなことね、だからもうその時点時点で合楽で信心させて頂く人はその.幼稚園なら幼稚園なりにです合楽的やはりお影を表せていかなければ、嘘だと言うことをね、私思いますです。......どうぞ...

平成十七年 八月二十二日   渕上順子